祈りの日

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閏日が有る閏年故、本来は10日が丸1年となるのだが・・・。

土曜日と日曜日、様々な催しが各処で開催され、祈りの一時が持たれ、マスコミ報道ではまたそれぞれに振返り、未来を語っていた。

気持ちがさざ波、穏やかに居られない、どこかイライラしている自分。


週末に予定が入る子供達に、日曜日の夕食は家族で摂ると伝えてあった。
父の86回目の誕生日でもある。

あの日の夜、連れとは連絡が取れずに居たが、未明に帰宅した。
職場は河口に程近い保育所。責任者故、親御さんが子供を連れ帰られなければ、帰宅は出来ないと察していた。
長男と連絡も取れず、帰って来なかった。
海沿いに有る取引先が担当、玄関を入った居間の入口で横になったが・・・眠れなかった。
幸いにして翌日夕方、ぼろぼろに成って帰ってきた。

2時46分・・・地震発生の時間。
しかし、地獄はそれから数十分後から翌朝に掛けて。
車のTVで映像を見て、愕然とし思いが巡らなかった様に記憶している。

1年という時間が物理的に進んだけど・・・。

日頃にまして、言葉が綴れない。

時間に掌を合わせた。

夕方、手作りした灯籠を玄関先に灯して、祈った。
祈るだけしか出来ない自分だ。

父の誕生日を祝うささやかな夕餉の乾杯前に、黙祷、そして長寿を期しての乾杯と献杯。
複雑な思いがぐるぐると巡った、祈りの日と成った。

この記事へのコメント

2012年03月12日 20:23
お父様の86歳のお誕生日おめでとうございます!
何と、3月11日とは・・・。
お祝いと祈り、乾杯と献杯。
翠弘舎さんの複雑な思い、お察しします。
手作りの灯籠に思いが凝縮されているようで、
何とも素敵です。
2012年03月12日 21:46
一年ですね・・・あっという間でした、私には早く感じました。思い出しますね、あの日のこと。自分は家に居たことを本当に運命だと感じました。出かける予定があったのに、身体が急にストップをかけたのです。予定通り動いていたら、果たして家に帰れたのかどうかも解りません。
一番つらかったのはやはり連絡が取れなくなったことでした。埼玉の実家を思うとどんなに心配しているだろうかと、バッテリーの切れた携帯と、通話できない家の電話を恨めしく思っていました。公衆電話もこの辺では役立たずで、4日目か5日目にやっと他の場所でかけることが出来るまで、心が落ち着きませんでしたよ。時間が経つにつれ、自分の境遇がどんなに恵まれていたか解ったことも
喜ぶより、何か心苦しいほうが勝ってましたね。
まだまだですけど、力強く行動できている人たちには頭が下がる思いです。東北の人は強いですね。
2012年03月13日 21:00
ひろピー 様
この日に誕生したお子さん達、も随分とおられる様です。
一瞬の出来事が両極に引き裂かれた日でもありました。
どんな言葉でも、何を書いても尽くせない思いがあります。
2012年03月13日 21:15
maygreen 様
虫の知らせ!? だったのかも知れませんね。
でもそうした判断が結果よかった訳ですから、「感」は侮れないです。
公衆電話、私も次男と近所をはしごしましたが、全く繋がりませんでした。171番なんて・・・役に立たなかった。
連絡を取ろうと思いが募れば募る程、結果繋がらないとよりマイナス方向に思考が向いてしまいました。
「こっからだっちゃね!」前向いてしっかり歩まなくては。
2012年03月13日 22:03
やはり複雑な思いで3月11日を迎えられたのですね。
東北の方々にはどう言葉を掛けて良いのか、探しても見つかりません。せめてこの日を決して忘れないことと、できる事を応援したいです。瓦礫受け入れもその一つでしょうか。
私も大地震を何度が経験してしまいましたが、本当に恐ろしいのは津波だと・・一年前のあの日の映像にショックを受けたのを思い出します。『運命』はあるのだと思いました。
suikoushiya さんもご家族の安否が分からずどれほど心配なさったことでしょう。ご家族がご無事で本当によかったですね。
お父様のご長寿を心からお祝い申し上げます。
2012年03月14日 08:49
ひとりひとりの「あの日」。。。

こちらからの小さな支援はまだ続いています。
2012年03月14日 20:26
いわき市や釜石市の両親、兄弟、親戚、従兄弟の安否確認取れるまでは無駄に体に力が入っていたのを思い出しました。また、仕事場、住居によっては翠弘さん同様に覚悟したところも…。

私は被災していない。私に出来る事は被災した親族や両親。育ててくれた地域に身の丈で貢献すること。そして我が子達にその姿を見せる事だと思っています。

お父様の誕生日おめでとうございます。
2012年03月16日 10:06
けっこちゃーん 様
コメント、父への祝詞を頂き有難うございます。
色々と複雑に思いが行ったり来たりの一年でした。
とは言え、区切りなど有る訳もなく、日々を重ねて行くのだと感じています。特に被害の大きかった方は、日々を重ねれば重ねる程喪失感が増すで有ろう事は容易に推察できます。
原発の事も絡んでより複雑ですが、全国民の問題として考え、行動していきたいですね。
2012年03月16日 10:14
黎明 様
離れていても繋がっている事、感じております。
また、継続的支援に感謝しております。
また、各国各地で祈りの一時を持たれた事にも繋がりを感じています。
熱し易く冷め易い日本人気質ですが、この件に関してはきっと大丈夫と思います。一つの歴史的被害、と単純に括れる物ではなくそれぞれの家族毎にとても重い出来事が、一時に重ねられた事ですから。
2012年03月16日 10:21
アウトバックダブルアール 様
あの日の心の揺らぎ、あの日以降の生活の変化と有り様、一人一人大きく変化しました。
振幅の大きさに付いて行けない現実ですが、対処出来る事で自身と家族、周囲の皆さんが少しでも前に進める様に「挑む」時期になったのかも知れませんね。
2012年03月16日 21:56
今晩は。お父様のお誕生日おめでとうございます。
お元気にすごされていらっしゃることと推察いたします。むすこさんにに祝ってもらえるなんて嬉しいものでしょうね。
あれから1年が過ぎました。まわりの人々は淡々と見かけ、過ごしていますが、心の中は複雑でしょう。
ましてや若い方々は---。
夢を持てる未来を作りたいものですね。
2012年03月17日 10:43
行き当たりばったり 様
昨年夏の放射線治療に続き、先月から今月に掛けて2回目の治療を終えて、一段落です。色々と不具合や痛みが有る様ですが、なんとか86回目をクリアーです。
生活基盤を失う事は、感傷的なニュアンスばかりで話せませんね。確かに岩手・宮城・沿岸北関東も大変ですが、福島の事は今最重要案件な筈。言葉遊びで政権をおもちゃにしている永田町の輩を視ると空しくなります。
2012年03月20日 07:00
自分も1年前のあの日から10日間をふり返りました。
職場が変わった初日から、信号が消えている夜の街道を走って帰る事になるとは思いませんでした。
それからしばらくは実家から自転車通勤。
あれが最後と思いたいですがそういう訳にもいかなそう。
備えるしかなさそうですね。
2012年03月20日 19:52
小太郎 様
10日間の顛末記読ませて頂きました。
近年は如何に「時間的距離」で家と職場を捉えているか判りました。
時には自力でのアプローチも考慮しておかないと行けない訳ですね。
今回、色々な対処を皆さん為さった訳ですが。原点回帰の視点に立つと、また違った見方・考え方が出来そうです。
ライフラインが止まった時、どんな生き方が出来るか? 対処出来るか? 今一度見つめ直す必要が有りそうです。
最近自分に降り掛かる、危険予知・判断が出来ない人が増えてしまい、その責任を社会に転嫁する傾向には疑問を持っています。子供世代からの日々の過ごし方、考え直すべきとも思っています。
2012年03月25日 19:32
こんなに日にちがたってしまいましたが、心からのメッセージをお送りします。
あの日のことを忘れずに大事に一日一日日常を過ごしましょうね。
2012年03月27日 23:52
山形ママン 様
こちらこそ遅い返信と成り、申し訳有りませんでした。
このところバタバタとしておりました。
皆さんの様々な想いや願いは届いていると、信じたいと思います。
復興と言うより、以前の生活自体を取り戻せていない方々が、まだまだ沢山いらっしゃる事、忘れては成らないですね。

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